A heart of faith is a strong ally


信じて疑わない
 そんな強い心でいられたら
きっと...
 真っ直ぐ自分の道を歩いていけるんだろうな

信じる心は強い味方

 


 
子どもの頃はサンタクロースを信じていませんでしたか?

私は中学生の頃まで信じていたかもしれません。
同級生がクリスマスプレゼントの話をしていて、
「うちの親はケチだから〜」と話しているのを聞いて、
「やっぱり親だったんだ」と確信したのを覚えています。

だからといってショックを受けたわけでもなく、
プレゼントを誰からもらおうが、毎年ちゃんと枕元に置いてあるという安心感がありました。
 

クリスマスプレゼントというと豪華な玩具を想像すると思いますが、
私の家ではいつも「長靴に入ったお菓子の詰め合わせ」と決まっていたので、
玩具など特に欲しいものをサンタさんにお願いすることはありませんでした。

もしも、親が奮発して一度でも豪華な玩具をプレゼントされていたら、
お菓子の詰め合わせにがっかりしたかもしれません。
その点、毎年お決まりの物でしたので、
大喜びすることもなければガッカリすることもありません。

ですが、普段は買ってもらえない珍しいお菓子の詰め合わせは、
「明日はこれ食べよう」と順番を決めて机の上に並べたりして、とても楽しかったし、
お菓子のプレゼントは地味に嬉しかったです。
 

そういった家庭で育った私ですから、自分の子には玩具を買ってあげたいと思い、
子ども達にはサンタさんに手紙を書かせて、「◯◯が欲しいです」とそれぞれに自分の欲しいものをお願いするようにしました。
もちろん、大きくなってきてからは半信半疑で手紙を書いていたと思います。

それでも、我が家の儀式みたいなもので、高校生になっても続きました。
その頃は手紙というよりメモのようなものを直接手渡しされていましたが(笑)

 
 

今思えば、クリスマスという行事は、
何かを「信じる心」を育てるには打って付けですよね。

見えないものを信じる、思いを信じる、相手を信じる、自分を信じる・・・
信じるとは、時には苦しいこともあります。
まだかまだかと結果を待ち遠しく思うこともあります。
それでも信じ続けていく忍耐力は計り知れません。
どこまで待てば?いつまで待てば?とモヤモヤが続くでしょう。

結果が見える仕事をされている人なら、その忍耐の大きさが想像できるかもしれませんね。
チームで取り組んでいたり相手のある仕事では、自分一人だけではどうにもならないので、関わっている人に対して意識が向いてしまいます。

そこで培ってきた忍耐力が発揮されれば良いのですが、
虫のいどころ次第では、つい余計なことを言ってしまうのではないでしょうか。
言ってしまってから後悔して、待つことのモヤモヤにプラスして更にモヤモヤが増えてしまう悪循環に陥ります。

忍耐力を発揮するには、「信じる心」が大切です。
ただ待つだけでなく、相手を心から信じて待つことです。
ものごとに対しても同じです。良い結果になることだけを信じて疑わないことです。

 

「信じる」の反対は「疑う」です。
少しでも疑いの気持ちが入ってしまうと、結果が変わるだけでなく、自分自身に疑心が生まれたことを悔やんでしまいます。

「疑心暗鬼」とは、仏教用語の「疑心」と、暗闇に鬼が見えるという「暗鬼」を組み合わせた四字熟語で、
心理を疑う気持ちがあると、暗闇の中でも鬼が見えるという心理状態になってしまうという意味です。
疑心から余計なことを言ってしまい、さらには暗闇に鬼が現れてしまうのは怖いですよね。

 
 

また、「あの人はこんな人だろう」「私なんてこんなものよ」と決めつけていることはありませんか?

猜疑心とは反対に、疑いもせず決めつけてしまう「思い込み」です。
「あの人はこんな人だろう」というのは、過去の出来事からの思い込み。
「私なんてこんなもんよ」というのは、過去の失敗した出来事を引きずって「今もきっとそうだ」という思い込みです。

人は失敗から学んで成長していくものです。
過去の失敗だけで、「あの人」も「自分」も決めつけてしまってはかわいそうです。

猜疑心は悪いことばかりではなく、良い意味で疑ってみることで視野が広がるかもしれませんね。
人の可能性は無限にあるのですから、「思い込み」で決めつけてしまうことがないようにしたいものです。

 

もし、自分が相手に疑われていて、信じてもらえない場合はどうしたら良いでしょう?

それには、まず
「自分から心を開く」ことをしてみてください。

人は、環境や習慣が違えば考え方も違ってきます。
自分のことを知ってもらわない限り、相手からは信用されません。

上辺だけの付き合いでは、いつまで経っても疑われたままです。
「あの人はこんな人だろう」と思われたままです。

自分の心を開くには勇気がいるかもしれません。
ですが、この人に信用してもらいたいという気持ちがあるのなら、
まず自分から心を開いて本心でぶつかってみましょう。

こちらが本心なら相手も心を開いてくれるはずです。
誤解が解けることもあるでしょう。相手の思い込みだったこともわかるでしょう。
なにより信頼関係が構築されて、これまで以上に良い関係になると思います。

さらには、相手の見えなかった部分が見えたときに、
それをその人の個性として受け止められる自分であるということ。それが「信じる」ということだと思います。

 
 

「独立独歩」という言葉があります。
他人にたよらず自分の信ずるとおりに行動することです。
自分の信念に基づいて生きていくことです。

決して、わがままに生きていいということではありません。
人は一人では生きていけないことを知っています。
家族をつくり友だちをつくり、切磋琢磨しながら生きています。

「他人に頼るな」という意味は、「他人に依存するな」ということです。
誰からも束縛されず、個人の考えや意思で行動できることはとても素晴らしいことですよね。
そして、人として当たり前のことなのだと思います。

束縛されていると感じるのなら、それは無意識に相手に依存しているからなのでしょう。
「独立独歩」その覚悟を決めたら、ブレずにその道を突き進むことで、
「信じる心」も磨かれていくのではないでしょうか。