この暗い絶望を我身に引き受けて生きる事にした賦活の書
世界中に伝わる神話に共通する英雄の物語は、安住の地(故郷)からの「旅立ち」そして「試練と勝利」さらに故郷への「帰還」となる。
脳卒中の闘病記の多くは「発病」からの「リハビリ」そして「使命と復活」やがて「再発」からの「死」となる。
発病前以上の成功を手中にするも、再発による死である。
その死の前後は周囲の人が記している。
これらの闘病記は自らのたどる道を示しているようで、身の毛のよだつ寒さを感じた。
そんな中で唯一、
「死ね」「死ね」とつぶやき、生きるか死ぬかで迷っているなら死を選べという書物が出てきた。
『武士道といふは、死ぬ事と見つけたり。』のアフォリズム(
その本文321章を元気に毎日音読訓練していた時に
“人は苦を見たるものならでは、根性すわらず”《人は苦しみ抜いた者ではければ、
“若き
“不仕合せの時、草臥るる者は益に立たざるなり”《困難に参ってしまうような者は、何の役にも立たない》
【開き書第二の一】
とこんな文章がやって来た。
俺の音読時間は、
今、現在のさまざまの不自由も全て、胆をすわらす為にあるのだ。
逃げてはいけない。
弱気の発言や愚痴、出来ない理由を並び立てる事も、全てやめよ。
300年の時を超えて作者の山本常朝が教えてくれている。
ついでに、これからの生きる道程を暗示する文章もちゃんとある。
“本気にては大業はならず気違いになりて死狂ひするまでなり”《マトモ程度では大した事はできはしない。死物狂いで立ち働くしか無いのだ》
【開き書第一の百十四】
半人前でも死物狂いで生きる事に幸せを感じる。
次回は「人との出会いと別離」
脳出血社長の賦活コラム
株式会社金剛 社長 遠藤伸一