過度な謙遜こそ大いなる傲慢のあらわれ
最近の風潮として「謙虚に」とか「丁寧に」という形容詞をこれでもかと使用して物事の本質を厚く覆い隠そうとする動きがある。
「寄り添う」という表現もそんな言葉の一つである。
これらの言葉には、反対・反論する事が許されない雰囲気が漂う。
更に「人間として」「人権」「差別」「戦争絶対反対」といった根源的テーマへと連結する。
俺が40代で血気盛んなサラリーマンだった頃、現在の恩師でもあり、
その当時の社長だった憧れの漢より言われた教えを忘れない。
「自信の無さの裏付からくる過度な謙虚さ程、とんでもない傲慢さのあらわれだ」と。
いかなる有名人でも社会的名声を得た人でも、はじめからその地位にあったわけではない。
まずは会ってくれるまで会って、ぶつかって、その懐に飛び込む溌剌とした元気な行動力で体当たりしろと。
そんな恩師から勧められたのが、吉川英治著「新書太閤記」全八巻だった。
もちろん部下の末席に座していた不肖の弟子である俺はすぐに読みはじめた。
最下層の農民という身分に生まれた豊臣秀吉による日本一の出世物語という壮大なる大河ドラマの人生である。
正しいと思う事は上司である織田信長へ直言し、人蕩しの性格もあい間ってホームドラマにはあり得ない生き方が書かれてあった。
師から推められた書物や会った人物からは直接的な答えは無い。
いつもそこにあるのは自ら思索と行動する為の”問い”ばかりだ。
80才を過ぎた師は「謙虚さ」「反省」とは無縁の前進あるのみの人生を歩まれている。
俺も気付くと今年で緑寿となったが、まだまだ当分は「謙虚さ」に浸る事なく、
脳出血後遺症の左片麻痺からの痙縮も10年目を目出たく迎え、溌剌と活動を続けます。
謙遜:控えめな態度で振る舞うこと。へりくだること。
傲慢:おごり高ぶって人をあなどること。見下すこと。
溌剌:生き生きとした生き方。
緑寿:66才

脳出血社長の賦活コラム
株式会社金剛 社長 遠藤伸一



