My heart is in moderation
打ち上げられる
あなたの思い... 私の思い...
高く高く打ち上げられる
消えゆく隙間に聞こえる声
「ほどほどにしておきなさい」
自分の意見に自信を持ち、堂々と発表する人は素敵ですよね。
反対に、自分の中に「これはいい考えだ」という意見があっても、
「あなたの考えもいいね」と話をほどほどに留める人は、自分の意見に自信が無いように見えるし、
意見が定まらない中途半端な人と思われがちです。
ですが、このような体勢でいる人たちはただ曖昧なのではありません。
「ほどほど」をわきまえているからこそ、心にゆとりを持っています。
自分が正しいと思う主義主張を、これでもかと言うくらい相手に押し付けて良いのでしょうか。
人それぞれ考え方も違っていて、あなたが正義だと思っている考えも、
相手にとっては真逆な考えなのかもしれません。
今は多様性の時代とはいっても、テレビでウルトラマンを観て育った年代の人も頑張っている社会です。
ウルトラマン世代の人が、優劣を付けることなく完全に多様性を受容できているかというと、
そうでもないような気がします。
ウルトラマンのストーリーは、地球を侵略しようとする怪獣が異星からやって来て、
それを阻止するためにウルトラマンがやっつけてくれるという子ども向けの作品。
悪を倒す正義のスーパーヒーローが主役で、やっつけたときの高揚感はたまらなく気持ちの良いものでした。
やっつけるといっても、実際には殺さずに宇宙のどこかの星に帰すという設定でしたが、
地球から追い出してしまうので、異星人の悪を排除するという意味では同じです。
地球で仲良くなるというシナリオだったら、その頃の子ども達の心に響いたかどうかは分かりませんよね。
今の子ども達なら多様性を認めて仲良くなることもすぐに理解するでしょうが、
その頃の子ども達には悪を倒すことの方が受け入れやすく、ウルトラマンが人気だったことも事実です。
それを観て育ったオジサン、オバサンたちは、社会に出ても悪と戦ってきたのだと思います。
自分の正義を振りかざして、悪を見つけてきてはやっつける。
ヒーローになるためにウルトラマンになっていたのでした。
違った意見は異質なものとして排除。
さらには攻撃。みんな同じ目標に向かわせるのが正しいやり方とされていたので、異質なものは悪にされました。
そもそも悪とはなんなのでしょう?
自分の周りを見て、この人は悪だ、この考え方はおかしい、と一言で判断するのは危険です。
例えば、喫煙者を悪とするのはどうでしょう。
昭和の時代、学校の三者面談のときに教室でタバコを吸う先生(ドラマ金八先生より)もいて、それは悪ではなく日常的な光景でした。
また、いじめ問題は奥深くて軽々しく言えませんが、いじめをする子を悪とするのは正しいこととは思えません。
いじめをする方が悪いというのは当然のことなのですが、その子にもそうしてしまう原因があり、被害者である場合も多いのです。
いじめっ子が悪とは言い切れないのです。
「人を殺してはいけません」当然のことのように思えますが、
戦争をしていた時代には、敵国を攻めて大勢の人を殺して評価されていました。
とても良いことをした、と…。
虫に殺虫剤を撒いて殺すこともどうでしょう。
人ではないから良いことなのでしょうか。
ひとつの命として考えると同じこと。
虫だから殺していいとは言えませんよね。
作物をダメにする害虫だから殺していいと考えるのは人間のエゴで、
同じ地球に生まれた命として考えると、なんだかかわいそうな気もします。
最近の私は基礎体温が上がったせいなのか、お肉料理が多くなったせいなのか、
はたまた皮膚にハリが無くなってきたせいなのかは分かりませんが、
蚊に刺されることが多くなりました。
今年はハッカ油で虫除けスプレーを作って常備しているのですが、
ちょっとの時間だから…とスプレーせずに庭に出た途端、耳元でブ~ンと音が(><)刺された後に気づきます。
「同じひとつの命…」と偉そうに言っている私でも、やられてしまうと叩いて退治してしまいます。
人間はなんて自分勝手で傲慢な生き物なんでしょうね。
虫を悪だと決めつけて、自分のテリトリーを侵すものを排除したいと思ってしまいます。
育てている野菜に毛虫がついていたら割箸でつまんでポイッと…。
花の蜜を吸いにきた蜂に怖がり寄せ付けないように対策したり…。
虫たちも生きていくために野菜や花に寄ってくるわけで、悪と決めつけているのは私なんですよね。
悪の反対が正義だとすると、ヒーローの考えなら何をしても良いのでしょうか。
ウルトラマンだから許せるのでしょうか。
自分が正義だと思うから相手を傷つけてしまいます。
実際に行動しなくても、言葉で暴力を振るうこともあります。
SNSのコメントで傷ついた芸能人や自殺したスポーツ選手がいます。
言葉は口から発さなくても、メールやLINEの言葉で傷つくことがあります。
正義感がはたらいて書いた言葉や自己満足のために発信したコメントは、知らず知らずのうちに相手を傷つけているのかもしれませんね。
メールを送るときには、一度相手の立場になってみることで言葉の間違いに気づくことがあります。
人によって受け取り方が違っていたり、そのときの気分で違った意味に捉えられてしまうことがあるので、
簡潔な言葉ほど注意が必要です。
さらに、絵文字を入れる場合、
個々に感情表現の絵柄が違っているので留意しなければなりません。
以前、メールを送った友人に勘違いされたことがありました。
そのメールを送ったすぐ後に会う機会があり話してくれた内容です。
私は『またね〜』と【パー】を送ったのですが、
相手は『もうメールしないで!』と拒絶された気がするとのことでした。
絵文字は便利なツールで、言葉だけでは伝わらない感情表現をしてくれるので便利ですよね。
でも、絵文字によっては、性格など相手をよく知ってから使うのが良いかもしれませんね。
言葉には言霊(ことだま)といって魂が宿っています。
良い言葉にも悪い言葉にも言霊があるので、自分が正しいと思って使った言葉でも相手にとっては嫌なものになる場合があります。
言葉にのせる想いがどういうものなのか、発する前に相手の立場で考えてみると良いですね。
例えば、試合などの勝負で負けた相手に「ありがとう」はどうでしょう。
「ありがとう」は言霊の良い言葉であっても、負けた直後には受け入れられない人もいるかもしれません。
成績評価のある会社に勤めている人も同じ気持ちになるのではないでしょうか。
「2位のあなたが頑張ってるから私も頑張れた。ありがとう」と悔しがっている人に言ったとします。
悔しさがまだ残っている場合、自分の嬉しさからくる「ありがとう」は、時には相手を傷つけることもあるのです。
正義感からくる言葉や行動は、とても強いパワーがあります。
自分一人だけならエネルギーに満ちてくるので気持ちの良いものですが、
周りを巻き込むような場合には、その正義感が自己満足からくるものではないかを思い返してみてください。
何かをスタートさせるとき、考えを発言するとき、自分の思いは大切です。
ですが、それが偏っていると気づいたなら「ほどほど」でやめておくのも賢いやり方です。
「ほどほどにしておきなさい」
お酒の飲み過ぎた翌日はダークな一日だったことはありませんか?
「ほどほどにしておきなさい」
子どもの頃におやつを食べていて親に言われた言葉。
食べ過ぎて気持ち悪くなり後悔しました。
朝までテレビを観ていて次の日は眠かったこと。
座りっぱなしで何時間も作業していてギックリ腰になったこと。
とことん強がって自分に嘘をついていたこと。
考えさせられるいろいろなことがありました。
限界を超えて見える景色も確かにあるけれど、その反動で起こった悪い出来事も大きな痛手となりました。
「ほどほどにしておきなさい」
『ほどほど』は平坦で穏やかな毎日を送るキーワードかもしれませんね。
心にゆとりを持ちましょう。