おい、黄昏ている時ではないぞ

T君が退社した3月末は、多忙となる5月以降を思いやると気が重くなった。
ハローワークへの求人や、知人、関係先への人の紹介のお願い等々、人を育て上げる事の出来ない組織は全て社長の責任。
本当にポンコツ社長の見本だと二重の脱力感だった。

しかし、灯台下暗し。
全国組織に勤める次男が
「4月より金剛で頑張る。今の職場はやめてきた」
突然の報告に俺は絶句。

身内を入社させて、社内を混乱させ劣化させる現実を見てきた俺は驚きが大きかったが、
背に腹は変えられない。

そこで、出身校でも1年先輩の宮澤課長に上司としての指導を頼んだ。
「一兵卒として現場での雑用から教えてくれ。宮澤流で思い切ってやってくれ」
指導する側となった宮澤課長には、この後で驚くべき事実を知らさせる事となる。

6月のある日、工事でお世話になったお客様が工事代金を持参して会社を訪ねて来られたのだ。
「宮澤さんは社長さんの息子さん? 今時あんな好青年がいるのかと感動して、それでどんな会社なのか、母と一緒に見に来ました」
俺は穴を探した。
隠れる穴を。

そこでの会話で知ったことは、
俺から見た宮澤課長の不足な点、
短所は全てお客様側からは信用を得る長所、
美点として大いなる信頼を与えていたのだ。

それが宮澤課長のファンを作っている現実であり、会社の雰囲気にも納得されたようだった。
俺は人を見る目の無さを恥じた。
光の当て方で陰影はまるっきり逆となる。
もっと人を見る目を養い、その為にも器を大きくしなければならない事をお客様や部下から教わった。

今後の進むべき道もはっきりと見えた。
しかし、部下を誉められる事は自分の事以上にこんなにも豊かで満ち足りた気分となる事を心の底から感じた。
ここから冒頭のタイトルへとつながる。

 
次回は「街トレでリハビリする ①」です。
 

 



脳出血社長の賦活コラム

株式会社金剛 社長 遠藤伸一

 


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